“熊猫杯”日本青年感知中国征文大赛获奖作品:无知与有知的尽头

亚太说 2024-05-21 10:20:26

高野千海 冈山大学研究生院学生

2019年,我前往吉林大学研修汉语。犹记得9月18日那天,阳光明媚,我正上着早课,突然听见了一阵警报声。这是为提醒民众铭记“九·一八”事变而鸣放的警钟。听到警报声后,我的脑海里倏地浮现出教科书上的黑白历史照片和“勿忘国耻”四个汉字。当晚,研修班一位日本同学给我发来照片,向我分享他乘坐高铁前往周边地区旅游的经历。旅行目的地是哈尔滨……据他形容,当地人“尤为”冷漠。是的,日本青年朋友虽然了解太平洋战争,但却对抗日战争一无所知。

为了完成毕业论文,我调阅了曾祖叔父在15年战争期间作为日本海军志愿兵出征的战时履历。履历上写着他曾随军登陆厦门、三灶岛,无心插柳,我便顺势开始调查旧日本军实施的“南支作战”。那段日本人不曾接触过的黑暗历史浮出水面。收集中国方面的相关资料和先行研究时,每每在材料中读到华南各地遭受战争侵害的历史和中国人抗战的过程,我的脑海中都会浮现出日本的“侵略者形象”——这是日本历史不愿展露的一面。

我喜欢“四海之内皆兄弟”这句话。由于日中两国地理相邻且文化相近,我对中国人抱有亲切感,没有所谓的负面印象。但与此同时,对于密密麻麻横亘在两国国民之间的“战争历史”所形成的鸿沟,之前我并不了解。只要缺少这个关键认识,无论自己如何对华友好,都无法与中国人发展真正的友谊。试想,他们会如何看待对这个关键认识浑然不知、却满腔热血幻想实现两国和平友好的我呢?或许千言万语都会归结为“无知的日本人”这句话吧。有人认为,近几年部分日本人对近代战争史表现出“抗拒了解”的态度。是因为他们害怕直面自己国家令人羞愧的历史吗?在主张尘封战争记忆的当代日本,其曾为“侵略者”的一面依旧不为人知。

2023年是中日和平友好条约缔结45周年。中国动漫、汉服、熊猫热等新闻也在日本国内被广泛报道,两国民间交流日益活跃。但另一方面,在政治领域,军事、安保方面的对立依旧存在,被公开的日本关东军新影像犹在眼前。这种扭曲关系的根本原因便是上文提及的“关键认知”,它不单单是政治问题,也影响了普通民众对对方国家的感情。我觉得日本人未免有些“过于不了解中国”。日中往来由来已久,仅仅是汉诗、古典小说等脍炙人口的作品便不计其数,特别是考虑到近代以后的中日关系时,必须要学习日本侵略和中国抗战的关键史实。当前中国民众的对日情感是如何通过昔日战争形成的,未来我们又该以此为依据去构建怎样的中日关系。越是考虑两国政治、经济、文化的发展,或许越是需要日本青年重新反思历史。当“无知”变为“有知”,中日关系才会更进一步。

在疫情背景之下,我常会放飞思绪,盼望有朝一日能够访华。百闻不如一见,亲身感受曾经只在传闻中了解过的中国,这也已经是好几年前的事情了。对于神经质的我来说,在华生活是一种挣脱固有逻辑思维的机会。那时我尚且年少,在与胸怀豁达、坚强刚毅的中国人的交流过程中,自己那份因内心细腻而徒增的多愁善感得以消解。辽阔疆土滋养出的自信强势与温柔细腻二者兼具,这样的中国令我难以忘怀。心怀再次访华的愿望,我在冈山县日复一日地刻苦钻研。

听闻郭沫若曾在我们学校留学,不知是不是这个原因,校园里的中国留学生的确不少。走进教室就感觉自己像个步入中国高校课堂的在华留学生,沐浴在汉语环境之中。我是班里唯一的日本人,能在性格活泼的中国同学中间开展研究,没有什么比这更令人快乐的事了。中国人超凡的乐观精神也能感染身边人,他们有着源源不断的上进心,促使他人见贤思齐,在别人遇到困难时还会用温暖笑容予以鼓励。越是深入接触,越是会有新的发现感悟。我由衷喜欢这样的中国朋友。

访华感想

此次是我时隔四年再次访华。除熟悉感以外,我还感受到了中国的“变”与“不变”。不变的是中国朋友待人热情的亲切性格,变的是中国社会的发展——上次访华时支付手段还是以现金居多,但现在基本都是电子支付,已经深入到百姓的日常生活中。中国社会的发展和人们对发展变化的快速接纳令我印象深刻。

無知と知の果てに

高野 かずみ

岡山大学大学院学生

2019年、私は語学研修で吉林大学へ赴いていた。日差しの強い9月18日、朝一番に授業を受けていた私の耳にサイレンの音が響いた。「九・一八事変」(柳条湖事件)だ。教科書で見た白黒写真と「勿忘国耻」の四文字がにわかに脳裏に浮かぶ。さて当日の夜、研修仲間が高鉄に乗り観光へ行ったとのことで写真を共有していた。その行き先は「哈爾濱」……。現地の人々は「やけに」冷ややかだったという。そう、日本の若者は太平洋戦争を知っていても「抗日戦争」を知らない——

卒論に向けて、私は15年戦争期に海軍志願兵として出征した曽祖叔父の戦歴を調べていた。彼の履歴書に廈門、三竈島への上陸記録があったために図らずも旧日本軍の「南支作戦」を調査することとなる。そのときに初めて、日本人が触れることのない暗い歴史が頭をもたげてきたのだ。中国側の資料や先行研究を集め、華南各地の被害状況や抗戦の展開を紙面に読むたび、日本では表面化しない歴史の側面——「侵略者」としての日本像に気付かされた。

私は四海兄弟という言葉が好きだった。地理的、文化的にも近い中国人には親近感を覚え、いわゆる中国人に対する悪印象というものを抱いていなかった。しかし同時に、日本人と中国人の間に密かに横たわる「過去の戦争」という溝を知らなかった。この認識の「かなめ」が欠如している限り、いかに自身が友好的だろうと真の交誼には発展しないのだ。彼らの目には、この「かなめ」を知らぬまま手放しに平和と友好を夢想していた私はどのように映ることか。「無知な日本人」、その一言に尽きる。近年日本では近代戦争史を「見たくない」人々がいるという。自国の後ろ暗い歴史を直視することは憚られるからか。戦争の風化が叫ばれる現代日本では、「侵略者」の側面は依然影を潜めている。

2023年は日中平和友好条約締結45周年とのことだ。中国アニメや漢服、パンダ熱などが日本でも報道され、両国の草の根的交流は益々活発化している。他方で政治においては軍事・安全保障面での対立がみられる。関東軍の新映像が公開されたことは記憶に新しい。このひずみの根底にあるのはやはり例の「かなめ」で、政治問題だけでなく一般人の対日・対中感情にも波及している。思うに日本人は「中国を知らなさすぎる」。漢詩や古典小説といった人口に膾炙した要素だけでは到底計り知れまい。特に近代以降の日中関係を考える際には、侵略と抗日の歴史という「かなめ」に学ばねばならない。現在の対日感情が過去の戦争を通してどのように形成されたか、それを礎に将来日中がどのように関係を構築していくのか。両国の政治・経済・文化の発展を思えばこそ、特に日本の若者は改めて歴史を省みるべきだろう。無知が知に変わるとき、日中の関係はまた一歩前進するのだ。

この時勢になってから、しばしば中国渡航に思いを馳せる。百聞は一見に如かず、伝聞でしか知らなかった中国に直に触れたのは何年も前のことだ。神経質な私にとって、中国での生活はまさにパラダイム・シフトとなった。当時まだ若く、繊細ゆえに悩みがちだった私の心は、大らかで気丈な中国人と接しているうちに融かされていった。あのときの大陸的な、したたかながらも優しい空気で包み込んでくれた中国を忘れられない。再び赴く日を夢見て、私はここ岡山で日々研究に勤しんでいる。

わが校はかの郭沫若も留学していたと聞く。そのためか中国人留学生がまことに多い。一歩教室に入ればあたかも中国の大学に留学しているかのような気分になる。まさに中国語のシャワーだ。日本人の同期生がいない私にとって、溌溂とした彼らに囲まれて研究することはこの上なく楽しい。中国人の卓越した積極思考は周りをも明るくする。飽くなき向上心で切磋琢磨を促し、落ち込んだ時には屈託のない笑顔で励ましてくれる。接するほどに新たな発見をもたらしてくれる、私はそんな中国人を愛してやまない。

訪中の感想

4年ぶりに中国に来て、懐かしさを感じるほか、変わっているものと変わらないもの、両方あったと思います。中国人は相変わらず親切で積極的に接してくれて変わらないなと思うと同時に、前回来たときにまだ現金で支払うところは多かったが、今はほぼ電子決済でみんなに普通に利用されており、中国社会の発展とその発展への対応の素早さにも感心しました。

翻译:黄泽西

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